地球倫理の再考

生態系サービス概念の倫理的再評価:内在的価値との調和に向けた多孔性地球倫理の構築

Tags: 生態系サービス, 内在的価値, 環境倫理, 人類中心主義, 学際研究, ポストヒューマニズム

導入:生態系サービス概念と地球倫理の新たな地平

21世紀の環境倫理学において、「生態系サービス(Ecosystem Services: ES)」概念の登場は、環境保全と人間社会の持続可能性を巡る議論に大きな影響を与えてきました。ESは、生態系が人類にもたらす利益、例えば食料供給、水質浄化、気候調整、文化・レクリエーション機会などを包括的に捉える枠組みとして、政策決定や経済評価において広範に用いられています。しかしながら、この概念は、その根底に人類中心主義的な功利主義的視点を含み、生態系それ自体の「内在的価値(Intrinsic Value)」を軽視する、あるいは客体化する傾向があるという倫理的批判に常に晒されてきました。

本稿では、このES概念が内包する倫理的課題を深掘りし、人類中心主義からの脱却を目指す地球倫理の視点から、ESの経済的・功利主義的評価と、生態系や非人間存在の内在的価値との間の調和がいかに可能であるかを考察します。特に、この二元論的対立を超克し、多様な価値観と存在論的視点を統合する「多孔性地球倫理」の構築に向けた学際的な議論の最前線を提示し、地球全体との共生というサイトの趣旨に沿った新たな研究方向性を探求いたします。

本論:生態系サービス概念の多義性と内在的価値の再評価

生態系サービス概念の功利主義的側面と批判

ES概念は、2005年のミレニアム生態系評価(Millennium Ecosystem Assessment: MA)以降、その実用性から国際的な環境政策の主流となりました。生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学‐政策プラットフォーム(IPBES)においても、その枠組みの中核を成しています。しかし、その強力な影響力ゆえに、倫理学、環境哲学、生態経済学の分野からは、多岐にわたる批判が提起されています。

主な批判は、ESの評価が、生態系を人類の便益の源泉としてのみ捉えることで、非人間存在の主体性や、人間活動から独立した生態系本来の価値を見失わせるという点に集約されます。例えば、Chan et al. (2012)は、ES概念が「自然を道具化する傾向」を持つと指摘し、生態系の保護を人類の利益に結びつけることで、短期的な経済的利益が内在的価値を圧倒する可能性を危惧しています。また、Spash (2015)は、環境経済学におけるESの貨幣的評価が、環境問題の根源にある消費主義的な価値観を強化し、市場原理による自然の支配を正当化する危険性があると論じています。このような批判は、ES概念が人類中心主義的な枠組みに縛られ続ける限り、真の意味での地球全体との共生は実現し得ないという認識に立脚しています。

内在的価値の哲学的前提と存在論的多元主義

ES概念の功利主義的側面に異議を唱える立場は、生態系や非人間存在が、人間にとっての有用性とは無関係に、それ自体として価値を持つという「内在的価値」の概念を強調します。この内在的価値の主張は、深層生態学(Deep Ecology)、バイオセントリズム(Biocentrism)、エコセントリズム(Ecocentrism)といった非人類中心主義倫理の基盤を成しています。

哲学的観点から見れば、内在的価値の議論は、アリストテレスのテレオロジー(目的論)や、カントの義務論における「目的それ自体」という概念を、人間存在に限定せず、生命システム全体に拡張しようとする試みとも解釈できます。例えば、Rolston III (1988)は、自然界の種や生態系には、進化の過程で形成された独自の目的性や尊厳があり、それが内在的価値の根源であると主張しました。

さらに、近年では、Lynch and Wells (2020)のような研究者が提唱する「存在論的多元主義(Ontological Pluralism)」の視点が生態系倫理の議論に応用されています。これは、世界を単一の客観的実在としてではなく、多様な存在のあり方や、異なる知識体系・価値観が共存する場として捉えるアプローチです。この視点を取り入れることで、ES概念が依拠する西洋科学的・経済合理的価値観のみならず、先住民の宇宙観や地域コミュニティに根差した自然との関係性といった、非西洋的な価値体系における生態系の内在的価値を、より包括的に理解し、尊重する道が開かれる可能性があります。

多孔性地球倫理の構築:ESと内在的価値の調和へ

ES概念の有用性と内在的価値の倫理的要請という二つの軸を、単純な二元論的対立としてではなく、相互に影響し合い、境界が溶解しうる「多孔性」の関係として捉えることが、「多孔性地球倫理」の構築に向けた第一歩となります。この多孔性とは、異なる価値体系や評価基準が完全に分離されるのではなく、透過的で、相互作用し、時には融合し、時には緊張関係を保ちながら共存する状態を指します。

この多孔性地球倫理の構築には、異分野融合的なアプローチが不可欠です。

  1. 生態経済学における多基準評価と熟議型アプローチ: 従来の貨幣的評価に代わり、生態学的指標、社会文化的指標、そして倫理的指標を統合した多基準評価手法の開発が進行しています(e.g., Kenter et al., 2015, Ecological Economics)。また、市民やコミュニティが参加する熟議型アプローチ(deliberative valuation)を通じて、ESの価値づけにおいて内在的価値に関する議論を導入し、多様な価値観の共有と合意形成を図る試みも重要です。

  2. 環境哲学とポストヒューマニズム: ポストヒューマニズムの潮流は、人間と非人間存在との境界を問い直し、相互依存的な関係性を強調します。この視点からは、ESが人間にもたらす「サービス」を享受しつつも、同時に人間が非人間存在に対して負う倫理的責任や義務を明確にする新たな枠組みが模索されます。例えば、Haraway (2016)の「共につくる(Chtulucene)」といった概念は、共生の形を再考する上で示唆的です。

  3. 法学とガバナンスにおける権利の拡張: 「惑星の権利」や「自然の権利」といった概念の法制化は、非人間存在に法的な主体性を与え、内在的価値を制度的に保障する試みです。エクアドルやボリビアにおける憲法改正の動きや、ニュージーランドにおけるテ・アワ・トゥプア法(Te Awa Tupua Act)によるワンガヌイ川への法人格付与は、この方向性における具体的な進展として注目されます。これらの事例は、人類中心主義的な法体系を再考し、非人間存在の権利を認めることで、ESの持続可能な利用と内在的価値の尊重が両立する可能性を示唆しています。

  4. 複雑系科学とシステム思考: 生態系を複雑な自己組織化システムとして捉えることで、ESの供給メカニズムや生態系レジリエンスの理解が深まります。このシステム思考に基づき、特定のESを最大化しようとすることが、他のESや生態系全体の健全性を損なう「トレードオフ」のリスクを回避し、生態系全体の内在的価値を考慮した持続可能な管理戦略を策定することが可能となります。

結論:多孔性地球倫理が拓く共生の未来

生態系サービス概念の倫理的再評価は、人類中心主義からの脱却と地球全体との共生を実現するための喫緊の課題です。ESが持つ有用性を認めつつも、その背後にある功利主義的価値観を乗り越え、生態系や非人間存在の内在的価値を尊重する新たな倫理的枠組みの構築が求められています。

本稿で提唱した「多孔性地球倫理」は、ESと内在的価値の間に存在する複雑な相互作用と透過性を認識し、これらを単純な対立としてではなく、共存しうる複数の価値体系として捉えることを目指します。この多孔性は、生態経済学の多基準評価、環境哲学のポストヒューマニズム、法学における権利の拡張、そして複雑系科学のシステム思考といった多角的なアプローチを統合することで具体化されます。

今後の研究は、このような多孔性地球倫理の概念的枠組みを、具体的な政策実践やガバナンスの設計、さらには市民社会における環境教育へと応用していくことが重要です。人類中心主義的な思考様式からのパラダイムシフトを促し、人間と非人間存在が織りなす地球の生命システム全体に対する倫理的責任を深く認識することこそが、「地球倫理の再考」が目指す地球全体との真の共生への道筋を開くでしょう。